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ザ・テンプターズ最後の小ヒット「雨よふらないで」は、メンバー二人、作詞:萩原健一 作曲:松崎由治 だった。 [ザ・テンプターズ]









デビュー曲「忘れ得ぬ君」から数えて通算6枚目の、ザ・テンプターズの1969年発売のシングル「雨よふらないで」。

ザ・テンプターズの作曲を担当していた松崎由治氏以外で、はじめて!作詞のショーケン、萩原健一氏の名前がクレジットされたナンバーでしたが、GSブームの急激な衰退の歯止めは、ザ・タイガース以外、ジュリー、沢田研二氏と双璧の人気者だったショーケン、萩原健一氏のザ・テンプターズを例外にもれずかからず、日本人好みの名曲、名演だと思われるこちらの曲も、それまでのオリコンチャート大ヒットというわけにはいかず、これ以降、解散するまで、ザ・テンプターズのシングル曲が、オリコントップ10に入る事はなくなってしまいました。

こちらのシングルが発売される前に、ザ・テンプターズは「5-1=0 ザ・テンプターズの世界」という、当時としては画期的だった!全曲オリジナルアルバムを発表しており、ショーケン、萩原健一氏の圧倒的な人気もあったのに、ザ・テンプターズ解散後もショーケン、萩原健一氏は70年代も人気者だった事を考えると、何故?あそこまで急激にザ・テンプターズの人気が急降下したのか?当サイト運営者は謎であります。

まあ、時代の空気だったのでしょう。GSブームに火がついたのも空気なら、「GSなんて」的なGS叩き、GS潰しも又、空気だったのでしょう。
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ジャンピン・ジャック・フラッシュ/ザ・テンプターズ Jumpin Jack Flash [ザ・テンプターズ]









1969年7月発売、新宿厚生年金ホールでの実況録音盤、これぞ!GSブーム!の耳をつんざく黄色い大嬌声の中、ちょーっとオープニング直後で当時二十歳前後の若きザ・テンプターズ、舞い上がり気味でリズムずれてるかな?って出だしですが、、、

突っ走り気味のザ・ローリングストーンズの不朽の名曲!「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」。

PYGでもしかりですが、一聴して出鱈目とわかるショーケン、萩原健一氏のボーカルの潔さ(?)が、案外、管理人は好きでして、また、ソレをレコーディングして全国発売するレコード会社の商魂も凄いわけですが、何より!当時、ストーンズの「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」をGSが、ザ・テンプターズが60年代末期に演奏していたという歴史が、管理人は嬉しいのでございます。

このライブアルバム「ザ・テンプターズ・オン・ステージ」が発売された頃から、GSブームは信じられない勢いで終焉、終息に向うわけですが、最後まで人気がありヒット曲を出していたザ・タイガースと共に、二大人気GSと言われたザ・テンプターズも御多分にもれず人気は急落。

同年12月には日本人初のメンフィス録音となった「ザ・テンプターズ・イン・メンフィス」が発表されますが(当時としては快挙だと思われます)、1970年になりヒットメーカー、作詞なかにし礼氏、作曲・編曲川口真氏の作品によるシングル「復活」「出来るかい?出来るかい?」も不発。

ラストシングルはデビュー曲、そしてザ・テンプターズ、ショーケン、萩原健一氏の人気を決定的にした!「神様お願い」同様、リーダーでありヴォーカリスト、ギタリスト、松崎由治氏による作品「若者よ愛を忘れるな」(1970.10月発売)で締めたのは、ザ・テンプターズらしいなと感じます。

が、ヒットする事なく、19670年12月末、東京大手町のサンケイホール内小ホールでの公演にて、ザ・テンプターズ解散。

以降、遂に!唯の一度も!再結成しなかった、唯一の人気GSではないか?と思われます。1997年、ギター&キーボードの田中俊夫氏、2009年、ドラマーの大口広司氏の死去により、ザ・テンプターズの再結成は永遠になくなりました。

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グループサウンズ末期の1969年、萩原健一氏(ザ・テンプターズ)と場内大合唱の女の子達の「涙のあとに微笑みを」 Live [ザ・テンプターズ]







当時の大人達はGSの何を恐れ、GSを目の敵にしていたのか?。それがよくわかる音源ではないか?と、管理人、個人的には思っております。

1967~68年、GSブーム最盛期から下降に一気に向かう!1969年後半、こちら人気絶頂だったザ・テンプターズ、同年4月に東京厚生年金会館大ホールで行われたコンサートを収録したアルバム「ザ・テンプターズ・オン・ステージ(1969年7月発売)。

松竹主演映画のタイトル曲でもある、「涙のあとに微笑みを」。

オリコン8位のヒット曲「純愛」のシングルB面とはいえ「涙のあとに微笑みを」も人気の高かった曲で、こちら作詞なかにし礼で、作曲は、70年代半ばから後半ユーミンブームを巻き起こすユーミンの師匠、村井邦彦氏。

で、この曲を、『教祖様』のショーケン、萩原健一氏が「それでは、皆さんと一緒に歌いたいと思います。歌ってくださいね」の後の満場場内の黄色い歓声の「はーい!」の声!!!。

曲名を紹介すると、再び満場の場内黄色い声で「きゃ〜!」。

更に!更に!『教祖様』ショーケンが歌いだすと、本当に!満場の場内!ショーケンと共に大合唱!まるで小中学校の朝礼、音楽の授業のようなソレ!なのですが、違うのは義務的ではない所と、途中、嬌声が入りそして!大嬌声の元、曲が終了するこの!大騒ぎ!、、、。

「GSは、当時のローティーンの若者達、特に女の子達にとって新興宗教だった」。これは管理人、私の口癖であります。

得体の知れない新興宗教だったから大人達は眉をしかめ懸念した。

GSはけっして「オレはよ〜」「おまえら」と言わない。皆「ボク」「ボクたち」「皆さん」の、言葉使いも、みーんな好青年。後のパンクのような危ない詞も、楽曲にない。

でも、大人達に徹底して!嫌われ弾圧されていた。何故なのか?、、、。

「新興宗教だったからさ」と、管理人は結論ずけております。

まあ、ある種、アメリカのフラワームーブメントのロックミュージシャン、フォークシンガーがそうだったのと似ており、ジュリー(沢田研二氏)もショーケン(萩原健一氏)も誰も彼も、唯のバンドマン、ミュージシャン、シンガーではなく『教祖様』であって、ただのアイドルとは違っていた。

この後の所謂「新御三家」とも「たのきんトリオ」他今の今迄、皆、アイドルではあるけど「新興宗教の教祖様ではない」、でもGSは違ってたと、独断と偏見にして恐縮、真剣に!思っております。
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ザ・テンプターズ/モーディー(MAUDIE) [ザ・テンプターズ]







ザ・テンプターズのブルースです。

米国の黒人ブルースマン、ジョン・リー・フッカーの曲を、グループサウンズ、GSがやっていたわけで、情報も少ない時代だったので、GSにっとってザ・ローリングストーンズとアニマルズは、洋楽のわりとお手本だったと思いますので、おそらくGSに人気の高かったアニマルズが、ジョン・リー・フッカーの「ブーンブーン」Boom Boomをカバーしていた影響からのジョン・リー・フッカーではないか?と、管理人勝手に想像しております。

が、当時、今で言えばジャニーズ系と同じ扱いだったアイドルGS、二十歳そこらのザ・テンプターズのこの演奏、ご立派だと思いますね。

ショーケン、萩原健一氏のブルースハープ、カッコイイと思います。

今と違いスクールがあった講師がいたとも思えない当時、ブルースハープを習得していたというのは、けっこう事件で、いったい誰にショーケン教わったんでしょうね?。独学なのでしょうか?。動機はやはりザ・ローリング・ストーンズのミック・ジャガーなのでしょうか?。知りたい所でございます。

新宿厚生年金会館での実況録音、1969年夏発売の「ザ・テンプターズ・オン・ステージ」からの音源ですね。

このアルバム発表の頃あたりから、急激に!GSブームは下降線に入るわけで(ザ・タイガースだけは最後迄、ヒットを出してましたが)、当時、Voの布谷文夫氏以外、天才ギター少年、竹田和夫氏含め全員、未だ高校生だったブルース・クリエイションのファーストアルバムが同年春に録音されており、ザ・テンプターズ同様、GSの人気者のザ・ゴールデンカップスのアルバム「ブルースメッセージ」も同年春に発売、夏にライブアルバム、「スーパー・ライブ・セッション」が発表されており、ひとつの時代の節目になったのが、この1969年だったのかも知れないですね。
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ショーケン=萩原健一氏のデビューシングル、ザ・テンプターズ の「今日を生きよう」 [ザ・テンプターズ]









1967年、人気に火がつき、もう日本中大騒ぎだった、内田裕也氏がスカウトしてきた、ジュリー!のザ・タイガース。

そのタイガースの対抗バンドとして、恵比寿の中川三郎ディスコティックや渋谷のリキ・スポーツパレスに出演していた、デビュー前からファンも多く、人気のかなり高かったそうなバンド、ザ・スパイダースの弟分バンドとしてザ・スパイダースの田辺昭知氏がスカウトし、デビューさせたザ・テンプターズの、1967年10月のデビューシングル、「忘れ得ぬ君」の、こちらB面。

曲は米国のグラスルーツのカバーで、それ以前からあった洋楽の日本語カバー、和製ポップスの手法を継承してるソレでございます。GSで言えばザ・カーナビーツのゾンビーズのカーバー、日本語訳の「好きさ好きさ好きさ」と同じですね。

A面「忘れ得ぬ君」は作曲者の松崎由治氏のオリジナル曲&ボーカルですので、実質、ショーケン、萩原健一氏の、こちらB面はデビュー曲と言ってもいいのではないでしょうか?。ショーケン、17才の声、歌唱。

ドラム、ベース、ギター、そしてショーケンの肉声、リードボーカルにメンバーのハモのみ!。誰が聴いても!わかる、シンプルな録音音源でございます。美しいですね!。「エメラルドの伝説」以降の、巨匠!村井邦彦氏の世界とも言える、壮大なストリングス、オーケストラ音ゼロ!。これぞ正に!エレキバンドの美学、ガレージパンク的な潔さの音、録音でございます。

ちなみにザ・テンプターズは解散後、一度も!再結成をしてない、人気GSでは珍しいバンドであり、リズムギター&オルガンの、ブルこと田中俊夫氏とドラムの大口広司氏が、2011年現在、既に残念ながら死亡しておりますので、ザ・テンプターズ再結成は、永遠になくなってしまってるわけですね。
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大ヒット曲!「エメラルドの伝説」と同じ、村井邦彦氏作曲の、ザ・テンプターズ 「純愛」 [ザ・テンプターズ]









大人はわかってくれない(笑)。この手のテーマは60年代の昔からあるわけで、青春歌謡の巨匠!美樹克彦氏の「回転禁止の青春さ」に匹敵する、そのへんの苦悩する若者を歌った名曲!。

結局、ザ・テンプターズはこの後、作詞:萩原健一/作曲:松崎由治/編曲:松崎由治・川口真の「雨よふらないで」を最後に、ヒットチャートから消えてしまったわけですが、この曲はいいですね。大人はわかってくれない的な(笑)、巨匠!なかにし礼氏の詞、この後、かのユーミンを売り出すユーミンの師匠、管理人世代の和製ふぉーくファンには「教典」に等しい!(笑)、赤い鳥の「翼を下さい」の作曲者、巨匠!村井邦彦氏の楽曲もなんとも言えない、若者のせつなさをかもしだしていて、素晴らしいです!。

更に!この頃のザ・テンプターズの素晴らしい所は、バンドとしてのエレキバンドの音と、村井邦彦氏の趣味なのでしょうか?、クラシカルな大オーケストラ、ストリングスの音が、見事に!フュージョン(融合)してる所。イントロの松崎氏のギター!大口広司氏のドラムに絡む(多分、後から被せたのでしょうが)オーケストラの音、スリル満点だと思いまする。

♪どうして わかってくれないの〜

若きショーケン(萩原健一氏)の歌唱が入ったバックのオーケストラ音!、当時、流行のまるで!マカロニウエスタンのような、クリント・イーストウッドかフランコ・ネロ、ジュリアーノ・ジェンマが出てきそうな雰囲気を感じませんか?。これ、イタリア映画界がマカロニウエスタンでやってた常套手段ですぞよ〜。松崎氏のギターがまた!全編でエスニックぽいフレーズで、マカロニウエスタンぽいんだな〜♪。


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ザ・テンプターズ最大のヒット曲!「エメラルドの伝説」。昭和元禄1968年は、正にグループサウンズブームの頂点でした [ザ・テンプターズ]









「忘れ得ぬ君」「神様お願い」と、デビュー1、2作目は二十歳そこらの あんちゃんら にオリジナルで勝負させていたのですが、「神様お願い」のヒットにより、もう一発でかいのが事務所は欲しかったのでしょうか?。1968年6月、GSブーム真っ盛り!に発表された第三弾は、作詞なかにし礼、作曲村井邦彦という、既成作家による曲。

さりとて巨匠!村井邦彦氏(ユーミンの師匠、YMOの仕掛人)も、未だかけ出しで、実績らしい実績はなかった、おそらくこの曲が初ヒットと思いますので、テンプターズのメンバー、松崎氏のオリジナルを採用するにしろ、実績もない若き村井邦彦氏の楽曲を採用するなど、事務所はなかなか勝負師だと思いますね。

未だこの時、村井邦彦氏も23才、作曲家もバンドも皆、若い!。でも、翌年には早くも村井氏はアルファレコード立ち上げてるのですから、昔から「やる人」というのは、若い頃から「やる人」なんだなーと、いい年してしみじみ思う次第。

で、とにかくこの曲は、バカ売れ!。遂にザ・テンプターズをスカウトしたザ・スパイダースの田辺昭知氏の目論み通り!、テンプターズはタイガース人気の対抗馬になり、ショーケン、萩原健一氏は、ジュリーと並ぶGSブームの二大アイドルになったわけです。

エレキバンドに、オーケストラの音。

管理人は下手な洋楽のトータルアルバムとやらを聴くなら、テンプターズの「エメラルドの伝説」を何度も聴いてる方が、ガレージパンク的なエレキバンドと、流麗なアレンジをほどこされたオーケストラの妙技に、感心する事が多いです。これは冗談ではありません。エレキバンドの音もちゃんと聴こえますし、オーケストラも素晴らしい。この手法はプログレと同じなんですよ、実は。

勿論,18才のショーケンの声がせつなく、素晴らしい。この声じゃ、当時のオネーちゃん、やられちゃう(笑)。

おそらくチャンネル数の問題もありますし、オーケストラは後で被せたのでしょうが、編曲は、東京芸術大学作曲科中退。川口真氏ですが、氏の手によるソレなのでしょうか?。村井邦彦氏のアイデアもあったのでしょうか?。是非!聞いてみたいものでございます。

1つの「物語」のような、このオーケストラアレンジ、秀逸だと今も昔も思っております。

勿論、テンプターズの演奏も良いですね!。松崎由治氏のギターは1、2曲目と変わらぬ、相変わらずの鋭さであり、大口広司氏のドラム、高久昇氏のベース、いいです!。「神様お願い」と「エメラルドの伝説」の高久昇氏のベース、素晴らしいと思っております。


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ショーケン=萩原健一氏人気が、大爆発したザ・テンプターズのシングル第二弾!「神様お願い」 [ザ・テンプターズ]









随分以前より、男性アイドルという分野はジャニーズ独占なわけですが、68年当時も元祖!ジャニーズ(あおい輝彦氏在籍)もおりましたし、もう1グループ、スリーファンキーズも女性に人気はありましたが、やはりGS、グループサウンズの圧倒的な若い女性人気たるや、それはそれは凄まじいものがあったわけで、その1、2位を争っていたのが、ザ・タイガースの沢田研二氏、ジュリーと、こちらテンプターズの萩原健一氏、ショーケンだったわけです。

1965年のエレキブーム、1966年の加山雄三ブームに続いた1967年の空前のザ・タイガース人気に対抗できるバンドという事で、ザ・スパイダースの田辺昭知氏がスカウトした、このザ・テンプターズの登場により、タイガースと共に、一気にエレキバンドは、ティーンエイジャーの女子中高生に人気になる、アイドルGSの時代に突入するわけですが、何が凄いってテンプターズは、ボーカル&リードギターのメンバー、松崎由治氏のオリジナル曲でデビューしてる所で、如何にタイガースに対抗するバンドと言っても、それは結果であり、デビュー時は未だ、海のものとも山のものともわからない二十歳前の若者バンド、宣伝広告費もかかるでしょう、衣装代もかかるでしょう、オリジナル曲でレコーディングさせ勝負した所が、田辺氏のこれも才覚の凄い所で、1968年3月に発売されたテンプターズ2作目のオリジナル曲、この「神様お願い」が見事に!大ヒット。

作者の松崎由治氏、この曲が大ヒットしてる時、やっと二十歳を迎え、ショーケンのこの声のレコーディング時は、未だ17才でございます。

セカンドアルバム「5-1=0 / ザ・テンプターズの世界」は、当時のGSにしては珍しい、カバー曲のない全曲オリジナル集であり、この「神様お願い」は勿論、松崎由治氏の独特なギター奏法、ドラムとベースの、それまでのエレキサウンド、エレキバンド、サーフロック的なそれではないグルーヴ。

テンプターズを、本当に唯のアイドルGSでかたずけて良いものなのか?、若い頃より管理人は悩んでおりましたが、近年は「GS研究家」の第一人者、故黒沢進氏の素晴らしい!研究成果により、どうもそうではなかったようだというのが、定説になりつつあるようです。


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